〜コンストラクターあれこれ2

●ダラーラ〜スクーデリア・イタリア

明らかにフェラーリを意識したチームでした。テレビで見る時は「白帯」が有るかどうかで判断してた、という人も多いんじゃないでしょうか。
'89年のカナダでチェザリスが、'91年のイモラでJJレートが、それぞれ雨の中表彰台を獲得しました。戦績からすればマイナーチームとは言えないですが、 「フェラーリのマネしてるチーム」という印象からか、当時もあまり注目されていなかったように思います。



●コローニ

私が好きだったタルキーニが走っていましたが、特に印象に残るレースも無し・・(笑)
やっぱりこのチームと言えば'90年のスバルとの関係が一番インパクトがありましたね。まさかの「水平対向12気筒エンジン」で、ビ ックリする程遅い。 結局8レース全部で予備予選落ち、チームはエンジンをコスワースに乗換えました。


●オニクス

何とも言えない鮮やかなブルーのカラーリングが印象的でした。
参戦初年の'89年にヨハンソンが3位表彰台を含む3度のトップ10フィニッシュをするなど、意外性のあるチームでしたが、翌年は見事に低迷。 あげくの果てにはシーズン中にオーナーが変わり、チーム名も「モンテベルディ」に変更されました。珍しい例ですね。名前が変わってからたった2戦で撤退したのも珍しいですが(笑)


●リアル

このチームを覚えている人はかなりのマイナー好きだと思います。
初参戦は'88年。チェザリスの1台体制で、予選はそこそこの順位に居るんですが、チェッカーを受けた回数が少なかったですね。「あの」チェザリスですから(笑)
見ての通りスポンサーが殆ど無かったのが原因で、翌年は決勝に進む事も少なく、その年限りで去っていきました。


●ライフ

カラーリングを見ると、またフェラーリを思わせる紛らわしいチームでしたが、心配は無用でした。
'90年に参戦しましたが、何せ予備予選すらまともに走れない、走っても予備予選通過タイムから10秒以上遅れるのは当たり前のチームでしたので^^

「W12型エンジン」という、4気筒を3つ重ねたレイアウトのエンジンにはド肝を抜かれましたが、こんなアイデアも当時のレギュレーションでは許されていたんです。 「全長が短くできて、12気筒使える」苦肉の策だったと思いますけど、まともに回らないわ、壊れるわで、結局13戦目からジャッドV8エンジンに変更。 それからの2戦も結果は変わらず、チームは資金難で最後のフライアウェイにマシンを運ぶことすら出来ずに、そのまま撤退してしまいました。


・・懐かしく見て頂けたでしょうか。
かなり偏見が入った物になってしまいましたが、このサイトを見て、今のF1をより楽しんで頂ければ幸いです。

最後までお付合い頂き、ありがとうございました^^


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